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だるろぐ

とてもだるだるした日記です http://about.daruyanagi.jp/

お知らせ

『人口から読む日本の歴史』『英仏百年戦争』『傭兵の二千年史』『戦国の陣形』

読書 歴史

ここ数カ月ブログを書くのをサボってたので、溜まってしまった。めんどくさいので、歴史に関係するやつはまとめてしまう(それ以外はまた今度)。内容も覚えている限りで適当に。全部 Kindle で買っちゃったんだけど、ペラペラめくれないから読み返すのが微妙にめんどいんだよね。PC 版のアプリがもう少し軽かったら、マーカーを引いた部分を読み返せていいんだろうけど。

『人口から読む日本の歴史』

人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

4冊の中では一番面白かった。こういうアプローチで歴史を読むっていうのも面白いもんだなー。

たとえば、縄文時代あたりまで、人口は東日本が優位だったんだね。狩猟・採集という面では、西日本よりも東日本の方が豊かだったんだ。三内丸山遺跡なんか青森県にあるじゃん? なんであんなところにって思っちゃうけど、それなりに理由があるんだな。

けれど、時代が下って農耕が始まると、逆に西日本が優勢になってくる。そういえば代表的な弥生遺跡・吉野ヶ里は西日本だし、ヤマト政権も西日本にあるわな。技術の伝播、温暖湿潤な気候、関東のように大平野がなくて人が集中しやすいってことあたりが農耕に向いてたんだろうな。

この関係が逆転するのは、だいたい鎌倉時代ぐらい。そういえば政権も西から東へと移ったな。なんでもかんでも人口だけで論じるのは危険かもだけど、やっぱり無視できないパラメーターではある。

あと、近世(江戸時代)の都市は“人口のブラックホール”だったってのも知らなかったかも。農村からガンガン人が集まってきて、ガンガン短命で死ぬから、江戸時代は人口が安定してたんだな。なので、明治になって都市衛生が改善されると日本の人口は急上昇していく。

ほかにも、お寺の宗門人別改帳をベースに江戸時代の出産サイクルを割り出す話なんかも面白かった。宗門人別改帳には嬰児まで登録されないので間引きの実態まではよくわからないが、それでも不自然な出産感覚などで実態が透けて見えてくる。

まだいろいろあったけど、興味を引いて覚えていたのはこれぐらい。記憶違いもあるかと思うんで、ぜひ自分で読んでみてください。

『英仏百年戦争』

英仏百年戦争 (集英社新書)

英仏百年戦争 (集英社新書)

書いてないと思って章を立てたけど、あとで自分のブログを検索したら書いてた。

読んですぐに書いたってことは、怠け癖を排して書くに値する本だったんだと思う。

『傭兵の二千年史』

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

「世界最古の職業は?」「娼婦!(ドヤァ」でもそれ、女の子の仕事だよね。男の子は何をしてたんだろうね。

答えは傭兵だね。ある意味娼婦よりキツい職業な気はするけど、そういうことをいうとフェミな人はあまりいい顔をしないかもしれないな。でも、現代になって傭兵はほぼいなくなったけど(いることはいる)、娼婦は減ったようにみえない。こういうところが、きっと根の深いところなんだろうなって思わんでもない。

さて、傭兵が娼婦よりも自由でいい感じなイメージがあるのは、たぶん権威に従属していないっていう点にあるんだろうな。

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いやなら従わなくてもいいわけだしね。実力さえあれば、の話だけど。

そういえばそういう意味での義賊を扱った面白い本があったので、もし興味あるなら読んでみてもいいかも(義賊は体制内で再分配を是正する役割も担ってた点が傭兵とは異なるね。例)ねずみ小僧)。

でも、中世イタリアではこの傭兵が跋扈しすぎて(なんせ諸侯が傭兵まがいのことをしておこずかい稼ぎをしていたぐらい)、逆に(都市)国家が傭兵に振り回されるなんて言う事態にまで発展していたり。これを憂えてマキァヴェッリが書いたのが『ディスコルシ』『戦争論』なんだな。彼は傭兵ではなく、市民兵による国家の防衛を唱えた。これはナポレオンの国民軍やら徴兵制により実現するんだけど、今度は逆に国家がリヴァイアサンになってしまい、巨大怪獣決戦≒世界大戦に発展してしまったりするわけ。でも、その過程で市民主義と国家主義が傭兵の居場所を奪ってしまう。現代では政情不安な発展途上国で強いられて傭兵になるなんてのを除き(むしろそういうのは民兵なのかも)、傭兵というのはある種ロマンの対象でしかない。

まぁ、そんな大枠の話に、スイス傭兵やランクツネヒトなんかの話が出てきて、そういう話が好きな人には面白い。『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』 - だるろぐ で触れたヤン・ジシュカなどもちょっとだけ出てくるよ。そういえばジョン・ホークウッドも出てくるんだけど、マンガ『ホークウッド』がもう終わってた。なんだそれ、まだまだこれからが面白いのに。エドワード黒太子あたりがちゃんと魅力的に書けなかったのがあまりウケなかったのか、著者が飽きちゃったのか。

さて、全体的の流れ的には面白かったのだけど、内容的にはちょっと薄いかな、もう少し肉がほしかったなって感じもする。この分量で二千年はキツかったかも。ハードカバーで2倍ぐらいの分量で読みたいわ。傭兵隊長列伝みたいなね。

『戦国の陣形』

戦国の陣形 (講談社現代新書)

戦国の陣形 (講談社現代新書)

めっちゃシンプルにまとめてしまうと、

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こんなのウソぴょん!って話だった気がする。

鶴翼は「ひらけー」、魚鱗は「あつまれー」程度の意味しかなく、鶴が翼を広げたような陣形、小部隊が密集して魚の鱗のように見える陣形なんてものはない、後代の軍記モノで生まれたイメージなんじゃないかなってこと。まぁ、よく考えれば、キッチリ(僕らが想像するような)鶴翼に組んで「これからお前らを包囲殲滅するやでー」なんていう戦いをしてたかっていうと、たぶんないわな。

むしろ重要だったのは兵種の正しい混合≒陣立てのようなものだったといのが主張だった気がするけど、実はあんまり覚えてない。武田信玄が強かったのは、村上義清にコテンパテンにされたときにこれを学んで、騎馬・長槍・飛び道具(弓・礫・鉄砲)をうまく組み合わせた陣立てを創始したから……っぽい。まぁ、なんにも考えず好きな武器を持ち寄って戦ったであろう地方豪族なんか、これで瞬殺できそうではある。

宇和島城に登ったった(2年ぶり2回目) / 宇和島“あじ飯”を食べた / 四国新幹線を探して

愛媛 城郭 食べ物

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週末、宇和島のお祭りに行く予定なので、その前に2月、東京からわざわざ愛媛に来てくれた旧友と宇和島城へ行った時の話を思い出しながらメモ。(→ これも一緒に行った宿とテレビ、あるいは新聞を購読する気になれない理由 - だるろぐ愛媛県美術館:「黄金のファラオと大ピラミッド展」と「特別展 生命大躍進」 - だるろぐ)。

とはいえ、2年前も行ったのであんまり書くことはなくて、今回は前回との差分みたいな感じ。


展示が少し充実した気がする

前回きたときは殺風景な天守だなーという印象を受けたのだけど、今回は展示が充実してた。(誰にも知られずひっそりと開催されている)南予博のためにちょっと頑張ったのかな?

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これは「宇和島城下絵図屏風」。オリジナルは元禄年間のもので、展示物はデジカメでとって原寸大で複製したものだそう。当時の宇和島城下の様子がうかがえる。左側は縄張りが海に面していて、さすがは海城だなーって感じ。

あと、この「宇和島城下絵図屏風」はもともとは襖絵だったが、昭和になって屏風絵に仕立てられたのだとか。美術的価値の話はよくわかんないけど、屏風の方が見る分には便利だ。ただ、一部だけ欠けているのが残念。

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そのほかにも黒門櫓や追手門など、現在では失われてしまった宇和島城の風景がパネル展示されていた。これは資料館にあったヤツかな?

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また2階には 茂本ヒデキチ という方の描いたカッコいい墨絵も展示されていた。松山生まれで、現在は東京で活躍されているアーティストだそう。こういう方面には疎いのだけど、フツーにカッコいい。totoBIG あたったらキノコタケノコ戦争の墨絵を書いてもらって襖にしたい。

宇和島アジ飯

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お昼ご飯は、また宇和島城の登城口にある「一心」さんに。

前きたときは宇和島鯛めしをごちそうになった。今回も同じのを食べようと思っていたのだが――

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“伊達あじ”というメニューができていたのでそれに手を出してみる。伊達っていうのは、宇和島・伊達家に由来するのかな(正宗の子孫が移封されてきて、幕末には四賢侯・伊達宗城を輩出した)。まぁ、ここら(豊予海峡、速吸の瀬戸)のアジは運よく大分で水揚げされれば“関アジ”になったはずのアジなので、味には問題ないはず。アジだけに。

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1,250円でボリューム満点。

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メインのアジめしの具。鯛めしと同じく、醤油だし・生卵と合わせてよくかき混ぜ……

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ごはんにぶっかける。マズいわけがねぇ……。totoBIG 当たったら毎朝これを食べたい。

四国新幹線

ついでに四国新幹線もみてきた。このためだけに宇和島駅で2時間ぐらい粘ったような……。

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その貴重なお姿がこれ。ゼロ系新幹線を彷彿とさせる愛嬌のあるスタイル。無駄を徹底的に排したシンプル極まる一両編成。駆動系は架線が不要なディーゼル発電式(汽車ともいう)。

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前面は衝突時のクラッシュクリアランスを十分に確保。乗員の安全を最優先した設計になっているが、同時に大胆な肉抜きが行われており、軽量化にも余念がない。安全性と速度を高度に両立させた、機能美溢れるデザインだ。

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そして驚くべきはこの背面。なんとこちらはノーズすら省略されている。高知 → 宇和島は旅客が少ない(というのも高知県には人が住んでいないので、愛媛からの流出のみを考慮すればよい)ので、無理に速度を稼ぐ必要がない。ゆえにノーズを省略して、軽量化したほうが賢いということだろう。省かれたノーズは立体視を巧みに活かした精緻な塗装によって再現されているので、デザイン上の違和感もない。

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また、人的コストも極限まで削減されており、なんとワンマンで運行できるのも四国新幹線の特徴。ちなみに伊予鉄(市内線)と同じ後乗り前降りに統一されているので、松山市民なら違和感なく乗りこなせるはず。ただし、電子マネーでの運賃決済機能は大胆にも省略されているようだ。おそらく高知県に電子マネー技術が伝わっていないからであろう。

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関係ないけど、宇和島駅は電話ボックスで携帯電話の充電ができて大変便利だった。ありがたやありがたや。

終わり。

プログラミング生放送勉強会 第42回@大阪 + わんくま同盟 に参加してきました #pronama

勉強会 大阪

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ちょっと参加はキビしいかなーと思っていたのですが、直前になってスポッと予定が空いたので、思い切って行ってきました。

宿が心配だったのだけど、日本橋で4,000円代(カプセルホテルじゃないヤツ!)で取れちゃったので、もう、これは行くっきゃないかな、と。

阪神往復フリーきっぷ

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愛媛・松山から大阪へ行く方法はいくつかあるのですが(飛行機、フェリー、高速バス、泳ぐなどなど)、今回は鉄道を使いました。なにげに大阪へ電車で行くのは初めてかも。

松山から大阪へ行くには、“阪神往復フリーきっぷ”がお勧め。

松山・今治ゾーンからだと17,490円(平日4日間の場合。休日二日間なら16,460円)で、

  • 特急しおかぜの往復指定席(ただし帰りはだいたい混んでてとれねぇ……)
  • 新幹線の行き帰り(のぞみの指定席もオッケー)
  • 西明石以東の阪神エリア乗り降り自由(もちろんJRのみ)

みたいな感じで割とお得です(素の料金は片道 10,950円、指定料金はたぶん含まず)。飛行機(ANA、伊丹着)の場合は旅作*1で最安30,000円、フェリーだと二等寝台7,000円程度×2+宿代=20,000円ちょい。フェリーと同じぐらいの値段だけど時間の自由が効き、飛行機より安いって感じでしょうか*2。この間までは Peach が価格・時間ともに最強だったんですけど、日に一便に減ってしまって 松山 → 関西は少し使いにくくなってしまいました。おかげで、鉄道で行くのが相対的にいい感じになってきた。

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駅弁も食べられるしな(^ω^)

逆に“阪神往復フリーきっぷ”で JR を使うときの問題は

  • 四国を脱出するのに3、4時間かかる(岡山 → 新大阪は40分程度)。8時に出て12時過ぎにつく感じ
  • 強風で瀬戸大橋を渡れないことがある

ことですかねー。予讃線は高縄半島をグルッと回らない近道線を作ってほしいもんです(今治民、ごめんな)。

勉強会

プロ生はともかく、わんくまは久しぶりかも。昔、横浜の中華街に中華料理を食べに行って以来だねー(【特集】“IT 勉強会スタンプラリー”で行く、全国コミュニティ探訪 第2回 - 窓の杜)。

「.NET Coreで生まれ変わる.NET ,ASP.NET, EF Core,」by 中博俊(わんくま同盟)

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ASP.NET Core + Visual Studio Code で遊んでみるみたいな内容。ちょうど自分も数日前に試してみたことなので、復習がてら聞きました。(艦これやりながら)実際に手でも動かしてみたのですが、割と簡単ですね。

「Xamarin 関連」by jz5(プロ生)

Xamarin Form でプロ生ちゃんアプリを作ったときの体験談みたいな内容。プロ生ちゃんアプリは、プロ生愛媛でも紹介していた“最寄りの消防本部に電話を掛けるやつ”です。データ SIM だと緊急電話かけられないから、役に立つときもかろうじてある。

“どうしても C# で iOS/Android アプリを書きたいマン以外にはまだまだお勧めできない”っていうのが正直な感想。自分で使うことはたぶんないですが、耳学問も大事やからね。

それにしても、VB を書いていない jz5 は割と新鮮だったかも。

ライトニングトーク大会

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おやつを食べながら観戦。松山で買ってきた坊ちゃん団子は無事売り切れてくれて、ちょっとホッとしました。

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どれも面白かったけど(自分もこうやってすらすらできるようになりたいなー)、個人的には牟田口さんの LT が大ヒット。なんか PowerShell 力の高まりを感じる。家に本があったから、もってきてサインしてもらえばよかったぜ……。

「韓非子のススメ」 by あおおにくん(わんくま同盟)

あれ? IT 勉強会じゃなかったっけ??(爆笑

韓非は中国・戦国時代の思想家で、法律は大事だぜーと主張した“法家”に分類される人。というか、その法家の代表的な人物。始皇帝を輩出した秦の隣にあった小国・韓の王族で、きっと「国を強くするためには法律をちゃんとしなきゃダメだ!」と思った真面目さんなんだろうな。著書『韓非子』で始皇帝を感動させ、秦に招かれたまではいいのだけど、それに警戒感を抱いた同門の李斯(秦の宰相)にハメられて自殺に追い込まれている。きっと著書とは裏腹に、悪とは無縁のヒトなんじゃなかったかな。

そもそもこの法家ってのは、なにも法を作ってそれに従わせる法治主義だけを唱えたわけじゃなくて、儒家の信奉する徳・礼の支配を否定し、人間が本源的に備えるインセンティブ(欲望・性向)なんかをよく考えて行動したり、ルール設計しようぜみたいな考えも持っていた。

法家っぽい思想は今の山東半島にあった斉という国がルーツなのだけど、この国は始祖・太公望、名宰相・管仲以来、制度や法律を重視する考えが根付いていた(儒家が尊敬する周公旦との問答は、それを反映していて面白いかも)。そしてもう一つ、斉には“礼みたいな虚飾を排して、自然そのものを見ようぜ”という老荘の思想の流れがあり、斉の首都は天下からそれ系の人物が集まっていた。そのなかには儒家ながらも性悪説を唱える現実派・荀子なんか混じっていて、大いに影響を受けたようだ(逆に、the 儒家ってかんじの理想派・孟子なんかは馴染めなかったっぽいな)。

その二つの流れの集大成が、韓非子の思想といえる*3。要するに、“人間の欲望を認め、君主はそれをうまくコントロールし、溜めたり伸ばしたりする制度を作って、それに従わせよう”みたいな感じ。権謀術数的なところだけ抜き出して、ルネサンスの政治思想家マキャベリに似ているという人もいる。

そういうのが実際の生活・仕事にも応用できるよねーというのがこのセッションの趣旨だった感じ。『韓非子』の話を卑近な事例にあてはめて説明していたので、知らない人にもわかりやすかったんじゃないかな。確かに応用できるところは多いかも?

「Ansible 関連」by You&I(プロ生)

名前だけは聞いていたけど、なんのことだかよく知らなかった Ansible についての概説。綴りのチェックは大事(ry

PowerShell でいうところの DSC みたいな感じかなぁ? 自分には使う機会がなさそうなだけど、環境のセットアップや集中管理をする人には必須の技術なんだろうなーって感じ。デモが Windows → Linux の管理じゃなくて、その逆っぽいのがちょっと新しいなって思った。あ、そういうのもできるんだ、みたいな。

懇親会

勉強会の後は懇親会。福島で日付が変わるあたりまで飲み歩きました。日本橋までタクシーに乗ったので、安い宿をとった意味があんまりない気がしたけど、まぁ、それはそれ。運転手のおっちゃんと「イスラム教徒はあかん」という話になったけど、個人的にはテロをするヒトはごく一部だし、自浄作用がないからと言って全体を否定するのはよくないなーって思ったけど、「タクシーの運転手が一人、酔っ払った客から金をちょろまかしたとしても、タクシーの運転手全員がそうだとは限らないですよねー」みたいな空気を読まない発言はやめておいた。実際、融和のためにはなんとかしないといけない問題ではあるわけで。酔った脳みそには難しすぎる話でした。

追伸

わんくま@熊本はいいなーと思った。プロ生でもなんでも、そういうキッカケはぜひ活かしたいかも。

*1:ホテル込みの往復パック

*2:高速バスは嫌いなので比較検討の対象外だけど、トータルで5,000円ぐらい安くなる気がする

*3:『韓非子』には法律の話だけじゃなく、『老子』を独自に解釈・解説した巻もあるんだぜ!

半年前にフラリと丸亀に行った話(3)~丸亀城の石垣、高過ぎ

旅行 城郭 香川 食べ物

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さて、塩飽の島へ船で渡り、チャリンコで小一時間ブラブラし、ふたたび丸亀港に戻ってまいりました。ちょうどお昼過ぎ、いい感じに運動もしたしおなかが空いた。

というわけで、本日二食目のうどんですが……その名も“バサラ天ぶっかけ”。二尾の大きな海老天を大胆に配することで、京極家のカブトを再現したという逸品でございます。

今から城に上ろうというボクにはピッタリのボリュームで、味の方もなかなか。丸亀って本当にいいところやな……。

さて、おなかも満足したところで、今度は港とは逆の方、予讃線を越えて南へ向かいます。丸亀城は予讃線の車窓からも小さく見えるので、地図を見なくてもたどり着けるかと。

で、ふもとまで来たのだけど――。

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石垣が高杉晋作、じゃなくて高過ぎ。下から上まで、石垣だけでこんなに高い城って初めて見たかもしれない。これは伊賀上野城よりも高いですわ、たぶん(バイク:鈴鹿から伊賀上野・名張 - だるろぐ)。

頂上にポツンと建っている現存天守閣は少し寂しげだけれども、かつては石垣の上に塀と櫓が巡らせてあったはずで、かなり立派なお城だったのではないでしょうか。天守のほかにも、大手一の門・大手二の門などが現存しており、それぞれ国の重要文化財に指定されているとの由。

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お濠を渡って小さな門(大手二の門)をくぐり、右に折れると――

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大手一の門。枡形虎口っていうのになるのかな? ここでまず敵の勢いを止めて三方から集中攻撃するのですな。アブない。もともとはこちらが搦手(裏口)だったのですが、のちに改められて海側のこの門が大手門(正門)になったのだとか。

そして一ノ門を突破して左に折れると(敵の進路を屈曲させて防御するのはお城の基本だよね!)、ながーい坂が。

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あとで知ったのですが、この坂は“見返り坂”と呼ばれているのだそう。登り切ったら、つい振り返ってしまうんですな。かくいうボクも見返して写真を撮ってしまいました。まんまと乗せられてしまった感がある。

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それにしてもこの城は石垣がきれいですね。反り返らんばかりに、キッチリ積んである。屋島のあたりを歩いた時も感じたのですが、四国は石材が豊富なようで、割とぜいたくに使ってますな。墓石やら地蔵までパクッて築いたという大和郡山城(こっちも行ったので今度紹介しますね!)とはエラい違いだ……。

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そして、三の丸、二の丸を過ぎると、天守のある本丸。江戸時代にこの地を治めていた京極氏によって築かれました。

もともとは慶長2年(1597年)に生駒親正(秀吉の三中老の一人)が豊臣秀吉から讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし、この亀山に支城を築いたのが始まり。江戸時代になって一国一城令により破却されそうになりますが、時の藩主・生駒正俊が立ち入り禁止&カモフラージュ作戦でこれを回避。生駒氏がお家騒動で出羽国に転封され、代わりに肥後国から山崎氏*1丸亀藩をたてるとその政庁となります。その後、山崎氏が三代で断絶。そこへ播磨国龍野からやってきたのが京極氏でした。近江源氏・佐々木氏から分かれた名族ですね(山崎氏も佐々木氏の支族)。

我が町・松山の城に比べるとこじんまりとはしていますが、それでも風格のある三層の立派なもので、日本にある十二の現存天守のうちの一つでもあります。

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なかには“刀らぶ”のキャラクターがいました。あんまり知らないのでよくわからんのですが、京極家にゆかりのあるカタナさんだったりするんでしょうか。

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天守からの眺めは絶景。丸亀の街と瀬戸大橋、そして塩飽の島々が一望できます。

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下に降りると、地元のゆるキャラ・とり奉行骨付きじゅうじゅうが踊っていました。

骨付きじゅうじゅうは丸亀のご当地グルメ“骨付き鶏”の化身だそう。汗をかいているのは炙られているからか。あと、カメを抱いています。丸亀だけに。

実はこの骨付き鶏、まだ食べたことがないんですよね! 知り合いによるとかなり旨いのだそうな。そのうち食べたい。丸亀はうどん以外にもおいしいものがたくさんあるっぽいので、また開拓しに行きたいものです。

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とりあえず、今回は福引(骨付きじゅうじゅうストラップを買ったらチケットがもらえた)でゲットした骨付き鶏味のポテチで我慢。帰りの特急しおかぜで食べましたが、関西だし醤油味と同じぐらいおいしかったです。

*1:始祖・山崎片家は六角氏からでて信長についた近江衆の一人。明智光秀の娘を正室に迎えており、本能寺の変でも明智側についたが、光秀の敗死で秀吉に投降し、所領を安堵される

半年前にフラリと丸亀に行った話(2)~いざ、海賊の島へ!

旅行 香川

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記録によれば10時半ごろ、本島(ほんじま)行きのフェリーに乗船、出港。塩飽の島々へ向かうやで。ちなみに「塩飽」は「しわく」と読むらしい。自分は「しあく」だと思ってたのだけど、これでもちゃんと変換できるから、割とどっちでもいいのかもしれない。

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塩飽諸島(しわくしょとう)は、瀬戸内海に浮かぶ諸島。「しあく」とも読む。

塩飽島(しわくじま)とも呼ばれ、瀬戸内海の中でも、岡山県と香川県に挟まれた西備讃瀬戸に浮かぶ大小合わせて28の島々から成り(岡山県側は笠岡諸島)、名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う。戦国時代には塩飽水軍(しわくすいぐん)が活躍し、江戸時代は人名(にんみょう)による自治が行われたが、近年は過疎化が進んでいる。

塩飽諸島 - Wikipedia

要するに、「瀬戸大橋のあたりに散らばってる島々」やね。かつては水軍(という名の海賊)が活躍していて、江戸時代には大名ではなく人名(にんみょう)による自治が行われていたことで有名。勝海舟などが咸臨丸がアメリカへ渡ったときは、この塩飽から水夫が募られたように古来「日本最高の船乗り≒塩飽のヤツら」というイメージだったんだろうね。でも、瀬戸内海と外洋では勝手が違ったろうし、苦労したんじゃないかな……。

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そんなわけで、丸亀の街とはしばしのお別れ。

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右手には遠くに瀬戸大橋がみえる(関係ないけど、この橋の基礎杭はウチの父ちゃんが打った)。

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海には漁船がたくさん出ている。昔もこうだったのかな?

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1時間かからず、本島の港に到着。無計画にきたので、ここからどうすればよいかまったく決めていなかったのだけど、幸い、港で自転車を借りることができたので、それに乗って島を2時間ほど回ってみることにした。ごはん屋さんはなさそうだし、次の便を逃してしまうと丸亀でお昼ご飯が食べられなくなる。

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まずは「塩飽勤番所」というのを目指して、自転車をバビューンと飛ばす……がそれっぽいものが見当たらない。代わりにやたらでかい天理教の建物なんかを目にした。宗派はともかく、海の男は信心深いというからね。かつてアドリア海を荒らしたウスコク(ウズコッキ)も、それはそれは敬虔なキリスト教徒で、教会まで膝で歩いて獲物を捧げたのだとか。

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さすがに行き過ぎたかな……と思いながらペダルをこいでいると、「笠島」という土地に出た。ここは景観保存区域になっているみたい。自転車を降り、足を踏み入れてみる。

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かつての塩飽水軍の本拠地だそうで、防御を考慮に入れた細く、入り組んだ路地が特徴。おばさんに案内をお願いしたところ、丁寧に説明してくださった。

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一番面白かったのは、屋根の構造。これ、ちょうど船底をひっくり返した構造になっているのだそうだ。たしかに船底なら雨水や潮風にも強かろうし、作り慣れてもいるわけで、大変合理的だ。

そのほかのものも“海へ出る”ことが常に念頭に置かれた作りになっていて、水をかぶっても火が消えない灯篭だの、船がひっくり返っても沈まない金庫だの、そういうのがあったようななかったような(半年前なのでこのあたりの記憶はあいまい)。よく管理されているのもあってか、古いけど快適で、こういう家に住みたいなーと思った。

ちなみに家のお値段を聞いてみたけど、よくわかんないみたい。そもそも売ってるのかな。買っても管理は大変そうだけど。

ついでにおばちゃんに「塩飽勤番所」の場所を聞いてみると、やっぱり通り過ぎていたみたい。名残は惜しいが、もときた道を戻る。

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それにしても、この道は景色が美しい。自転車を止めて、見とれてしまった。スマホの写真ではあんまりうまくとれてないけど(自分が下手なのか!)。

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そんなこんなで「塩飽勤番所」に到着――したのだが、なぜかさっきの笠島のおばちゃんまでいた。お昼ご飯の時間みたい。僕は海沿いの道をのんびりきたのだけど、実は近道があったみたいで、おばちゃんはそっちを通ってきたのだとか。たしかに Google Map をみると近道っぽい道がある。海側は遠回りのようで、道理で誰も通らないわけだ。

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塩飽諸島は古来、秀吉、家康の朱印状により、1250石の領地を与えられた650人の船方衆が、明治に至るまで治めてきた土地柄である。船方衆は大名に対し「人名(にんみょう)」と呼ばれ、その組織を島中と呼んだ。人名の代表者が名字帯刀を許された4人の「年寄(としより)」で、1年交代で朱印状を保管し、自宅を役所として政務を執ってきた。

寛政元年(1789)、惣兵衛・小右衛門の両名が代表し、島中の窮状と公役の軽減を幕府に直訴した結果、島治の改革が実施される。世襲による旧年寄に代わり、塩飽全島から3人の新年寄を入札で選出し、寛政10年に勤番所が建築され、年寄が勤務することになった。幕府の認可を受けてから、建築し朱印状を移すまでに5年を要した。

観光・イベント・スポーツ:歴史・文化財:塩飽勤番所 | 香川県 丸亀市

「塩飽勤番所」は人名統治の中心地。御朱印の保管箱や、咸臨丸の模型などが展示されていた。

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笠島のおばちゃんもそうだったけど、勤番所のおばちゃんはとてもいいひとで、「自転車こいでてめっちゃのど乾いたー!」などと喚いてたら、お茶でもてなしてくれた。ありがたや……ありがたや……。復元ではあるけれど歴史ある建物の畳で正座していただくお茶は、たまらんね。半時ほどのんびりしてのち、二人のおばちゃんに挨拶をして港へ帰った。

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桜の花の咲く季節が一番よいとのことなので、またくると約束したが、今年は3月4月が少し忙しくてすっぽかしてしまった。でも、いつかまたのんびりお茶でも飲みたい(← またねだる気か!)。

半年前にフラリと丸亀に行った話(1)~うどん屋が開いてないんだが!

旅行 香川 食べ物

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2015年12月20日のことらしい。天気がよかった&たまたま早起きしたので、特急しおかぜに乗って丸亀まで行ってきた。用事はとくにない。強いて言えば、Withings のスマートウォッチ Activite Pop を買ったので散歩したかった、みたいな。

ちなみに、この子は今でも愛用してる。この前コンビニで電池買って入れ替えたよ!(バッテリーは8カ月もつって公称してるけど、半年ぐらいで時刻が遅れだす感じなので、早めの交換でいい気がする)

うどん

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まず、地図も見ずに海の方へ向かってテキトーにあるいた。きっといい感じのうどん屋がひしめき合ってるに違いないから、テキトーなところで朝食がてらうどんを食べようという目論見。

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とにかく天気がよくて、気持ちのいい日だった。冬だけど、長く歩くと汗ばむ感じ。

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途中で変なおっさんの像を発見。

瀬山登、名は重嘉、通称四郎兵衛、棠川(とうせん)と号し、江戸時代の天明四年(一七八四)京極藩士の家に生まれる。

小姓から大目付、勘定奉行、物頭となり江戸屋敷の留守居役となる。

和漢の学に通じ、写生画を能くし、江戸在府中に金毘羅千人講を作って参詣客の誘致をはかり、その受け入れのため、港拡張の必要から新堀湛甫を築造し、また金毘羅銅灯籠(現太助灯籠)を 建てたが、その多額にのぼる費用調達にあたり千人講のほか、江戸老中や豪商を動かし、藩の財政に影響を与えることなく大いに政治的手腕を発揮して完成させた。

更に、江戸の隣り屋敷九州中津藩から団扇作りの技術を家中の者に習得させて国元に拡げ、金毘羅詣りの土産ものとして販売させ、今日の全国一を誇る団扇産業を創始するなどして丸亀繁栄の基礎を築いた。

要は、「金毘羅参り+港+団扇」で町おこしをした人なんやな。写真を撮ったときは「灯篭」がそんないわれをもつものだとは知らなかったので、構図がテキトーだけどごめん。

サラリと書いてある「千人講」というのは、今でいうクラウドファンディングみたいなものだろうか。飯田藩みたいに悪用されて騒動にまで発展することもあったけど、ちゃんと使えば街がひとつ興るというわけやな。

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それにしても、うどん屋がない。

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いや、あるにはあるのだが、ことごとく開いてない。さすがに無計画すぎたかもしれない……と少し後悔し始め、Google Map 先生に開いているうどん屋さんをお尋ねしたところ……

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あった━━━━(゚∀゚)━━━━!!

ゴルフコースの隣(お散歩地図で言うところの(3)のあたり)に、セルフのうどん屋さんを発見。しかも、なんか製麺所の隣にある。これは期待が高まりますなー……。

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さっそく一杯ゲット。ひとりでセルフのおうどんを食べるのは初めてだったので(大学の頃、友人とうどん旅行をしたことはある)、イマイチ作法がよくわからなかったのだけど、店の人にダシをぶっかけられたりしなかったのでたぶん間違ったことはしなかったと思う。トッピングはよくわかんないので、そこら辺に出されていたイワシだかなんだかの天ぷらに、ワカメ。蛇口からダシを注いで……いただきます!

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うどんはもちろんおいしかったのだけど、なんか天ぷらがめっちゃうまかった。ほっくほくで、身が分厚い。ダシまでみんな飲んだ。家の近所にこの店ほしいと思う。

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たいへん満足したので、予讃線の向こうにある丸亀城をちらっと覗いて帰るか~と思い、港の方へてくてくと歩を進める。まぁ、もうちょっと港っぽい風景も見て帰りたいもんな。

すると、フェリー乗り場に出た。急ぐ旅ではなし、ここで缶コーヒーをあけて休憩しつつ、ぼんやり観光案内図を眺めていたのだが……

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塩飽……瀬戸内の海賊で有名なアレか(-。-)y-゜゜゜

――1時間後、なぜか船上のヒトになっていたのでした。続く。

追記

らしいで(´;ω;`)ウッ…

期日前投票をしてきた

政治 時事問題 共和主義

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生まれて初めて国政選挙の投票をブッチしてやろうかと思うぐらい、今回の選挙には選択肢がないが、ちんちん電車に乗って街へ出て、国民の義務を果たしてきた。

投票先は、自民党。正直なところ、アベノミクスなんて小賢しい政策は絶対に失敗すると思っているし、消費税増税の約束を守らないし(その分、課題を次の世代に先送りしたわけだ!)、評価できるのはオバマさんの広島訪問を実現した外交政策ぐらいなものかと思うが、無責任なヒトに任せるよりはよっぽどマシかと思い直した。野党はあの手この手で「自民党でいいんですか?」と問うが、「お前らよりはマシだろうよ」という感想しかない。

個人的には、シンプルで手広い社会保障があればそれで充分だ。いかにご立派な理想を掲げていても、複雑で全体像がとらえがたいアドホックな補助は、かならずズル賢い人間に悪用されて終わる。世界は放っておけば複雑になるのだから、常にシンプルにする努力が必要だろう。

かつてはそういうことをみんなの党あたりに期待をしてみたが*1、残念ながら応えてはくれなかった。そして「あっちにこんな補助をします!」「こっちの予算を増やします!」という輩だけが残り、今日も互いに相手を引きずり下ろすためだけに選挙運動をやっている。バカらしく、そして悲しいことだ。

でも、かつて書いた記事(今読むと赤面ものだなぁ)を読み返してみると、ちょっとだけ前進していることもある。

5年前の自分が望む政策は以下の3つだったらしい。

  1. (マイナンバーの導入と)国家主導による電子マネーとマイクロペイメントの整備
  2. 消費税への一元化
  3. ベーシックインカムの導入

簡単に言えば、課税捕捉率の向上+ロングテール課税で財源を作って、それを広く平等かつ機械的に配ろうっていう話やな。

まず、マイナンバーができた。いろいろトラブっているけれど、より公平で効率的な徴税を期待したい。“国家主導による電子マネーとマイクロペイメントの整備”というのは個人的にもラディカルな考えだなぁと飽きれるけれど(プライバシーマンが聞いたら発狂しそうだ)、まぁ、機が熟せば自然とそうなるんじゃないかなと思っている。

消費税への移行はまだ進まない。今さら消費税増税で財政がどうにかなるものか、という意見はわからんでもないのだけど(アベノミクスとやらで解決できたらラクなのになぁ)、これは次世代への責任の問題だと思っている。景気への影響を懸念するのはわかるが、8%を10%にしただけで破たんするような経済なら、さっさとパンクさせて再構築したほうが、次世代(の次世代ぐらい)にとっては好ましいのではないだろうか。近年、老人が尊敬されていないのは、彼らが自分たちの責任において課題を解決しようとせず、先送りしてきたからだ。その轍だけは踏みたくない。多少苦しくても、一つずつ課題をクリアしていきたいものだと思う。

まぁ、でも、ミンシュシュギで現状維持と問題の先送りが決まってしまえば、ボクが抵抗しようがどうにもならないけどね。それはそれ、また別の話。

ちなみに自分は「老人の参政権を制限しよう」だとか「納税者だけに投票権を与えよう」などという意見には大反対だ。そんなことを言っているマンは、ペプシコーラでもかぶって頭を冷やした方がいいと思う。

ベーシックインカムについては、最近ようやく話題に上がるようになった。ベーシックインカムはけっして銀の弾丸ではないが(たぶん、ある意味今よりもエグい世の中を招来すると思っている)、雇用が細分化・流動化していくのが避けられない以上(別に小泉・竹中がいなくてもそうなるんだよ)、無条件で機械的に支給される社会保障は必須になるはず。消費税増税で基礎給付になればロードマップとしてはよかったのだけど、公○党が要らんことをしくさって軽減税率になりそうなのは困る。

――けれど、世の中の歩みってこれぐらいのスピードだよな。変わるときはいっぺんに変わるけれど。ちょっとはマシになってるのならば、これを維持したいと思う。なので、自民党に票を入れておいた。

むすびに

さて、いろいろ変なことを言ってきたけれど、本当に先ほどの3つの政策を実現してほしいかというと、それはそうでもないんだよね。ここら辺はちょっと他人には理解してもらえないかもしれないのだけど、なんというか、自分が正しいとは思えない。方向性としてはそっちが望ましいという確信はあるんだが、たぶん、実務的にはもっといい方法があるんじゃないだろうか。そこは三人寄れば文殊の知恵だからね、そういう方向性に沿って前向きな議論がしたいんだよ、結局のところ。

なので、別に先ほどの政策を掲げなくても、穏健で、シンプルさと共和主義的討議を尊び、実務的な調整力を重んずる政党があれば喜んで投票すると思う。別に政権をとらなくても、与党の賛同すべきは賛同し、反対すべきは反対する。その判断基準として、討議により研ぎ澄まされた合理性と現実性、これから参加するメンバーにも支持されうる持続性、そしてシンプルさと公平さの尊重があればうれしい。自分はそういうのをフワッと“共和主義”と呼んでいるが、この国では民主主義ほど大事にされていなくて残念に思っている。

*1:誤解されたくないので言っておくが、僕は渡辺喜美という人物個人を信任したことは一度もない。政党という枠組みで討議と合意、矯正がなされることを期待していたのだが、組織としてあまりにも未熟だった