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だるろぐ

とてもだるだるした日記です http://about.daruyanagi.jp/

お知らせ

『オリエント世界はなぜ崩壊したか―異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』

読書 歴史

メソポタミア文明から現代まで。〈中東=オリエント〉が辿った長大な道を知った時、きっと気付くであろう、かの地の人々が争いの中に必ず和平の「叡智」を生み出していたことを――。いまだ止まないテロと戦争。複雑に絡み合う民族と宗教、領土と資源。人類に突き付けられた「最大の難題」を根源から理解するための歴史大河。

“なぜ”というタイトルなのに、ズバッと“なぜ”が明かされてない気がするけど、山川の『世界史』よりもちょっと深めのオリエント史を俯瞰したいときに便利かもしれない。

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ちなみにオリエントっていうのは、エジプト・小アジアの地中海東岸~インダス川ぐらいまでの地域かな。ヨーロッパから見て“東方”って言う意味。反対語はオクシデント、オチデントやね。

すんごいざっくり&テキトー説明すると、まずここで世界最古の文明であるメソポタミア文明、そしてエジプト文明が栄えた。それを統一したのが、世界最古の帝国の帝国とも言われるアッシリア。アッシリアは官僚制度と常備軍を備える先進的な国家だったが、広い領土を治めきれずに崩壊してしまう。その後、オリエントは分裂したが(新バビロニアのネブカドネザル二世が“バビロン捕囚”を行うのもこの頃)、東からやってきたアケメネス朝ペルシアが再び統一する。

アケメネス朝ペルシアは、ローマ帝国を凌ぐ版図を有した。その政治はおおむね寛大で、帝国の基礎を築いたキュロス二世がユダヤ人を“バビロン捕囚”から解き放ったことでも象徴されるように、帝国にはさまざまな民族と宗教が同居し(おかげでキュロス二世は“メシア”になった!)、商業が発展。硬貨の鋳造や貸金業も行われたという。これがオリエントの原型になる。

このアケメネス朝はアレクサンドロス大王によって倒されたが、ついでに本人もぶっ倒れてしまい、その後継者たち(ディアドコイ)がオリエントを分割した。おかげで風通しのよいオリエントの文明に、ギリシアの文化が持ち込まれることになる。オリエントの人たちは外来の文化を受け入れ、よく保存したので、ヨーロッパが中世の混乱でギリシャ・ローマ時代の知識を失ったあとも、オリエントから学ぶことができた。さしずめ“文化の冷凍保存庫”ってとこやな。もちろん、オリエントの人たちも固有・外来文化の育成に力を注いだのは言うまでもない。

さてさて。

ディアドコイたちはオリエントを分割したが、そこには唯一の例外があった。ペルシアの騎馬民族パルティアだ。パルティアはアケメネス朝の制度と伝統、ヘレニズム(ギリシア)臭のする文化を受け継ぐ。そして東は中国の漢とお付き合いして史書に名前を残し、西ではローマ帝国としのぎを削ってカエサルのマブダチ・クラッススをぶっ殺した。しかし、そうした抗争が長引いたことが国家の弱体化を招き、ササン朝ペルシアに征服されてしまう。ササン朝では再びペルシア文化が交流し、ホスロー一世の時代に最盛期を迎えた。ローマ帝国のあとを継いだビザンツ帝国からアンティオキアなどを奪って、小アジアをギリシアからオリエントへ組み込んだのもこの頃の話。でも、ササン朝も敵を作りすぎて、やがてイスラムの波に飲み込まれてしまう。

イスラム教は、アラビア半島で生まれた。この地域はビザンツ帝国とササン朝の抗争から外れており、この時代交易で割と潤っていたんだね。始祖のムハンマドも商業に携わっていたと言うし、商業に向いた宗教が生まれたのは自然なことかもしれない。

そもそも宗教というのは、氏族≒国家とは異なる次元で人々をつなげるために生まれた(ヒンドゥー教みたいな感じの体制に根付いたやつはちょっとアレだけど)。“(血筋や出自に関わらず)神の前では平等”ってやつやね。今でこそ僕たちはリベラリズム(理性に基づく自由の教え)の成果を満喫し、「宗教なんていらない」と軽々しく言っちゃうけれど、当時において、イスラム教はリベラリズムの最前線だったのだと思う。異邦人には親切にしろとか、貧しい人を助けろ、とかね。自分が6世紀のアラビアで生まれていたら、喜んでイスラム教に改宗したと思う。また、改宗まではしなくても、イスラムの支配を受け入れただろう。本来のイスラム国家では、異教の民も税金を追加で払うだけで信教の自由を保証された。

その後の歴史はだいぶ端折るけど、要するに、オリエントでは寛容が重要視されていた。寛容は商業を促進し、文化の交流を推し進める。戦争はまぁまぁあったけど、ジェノサイド的なことはあまり起こらなかった――ブリカスとフラカス、そしてアメカスが中東を騙して切り刻むまではね(ロシアも加えておこうかな?)。

オリエントの近代史は、東アジア以上に見るに堪えない。オリエントは大きな将棋盤で、ペルシア(イラン)、アラブ、トルコ、エジプトはプレイヤーのコマにすぎない。いつになったら彼らが自立して協力し、古代の寛容をルネッサンスさせられるようになるんだろうね。

最近買ったマンガ

読書 マンガ

『博多弁の女の子はかわいいと思いませんか?』

かわいいと思います(迫真 まぁ、方言の女の子はどこの子でもかわいいよねー。あれ、なんでだろうねー。京都から東京へでてから初めて関西に帰ったとき、コンビニのお姉さんの関西弁がほんと暖かくて可愛らしくて、危うく恋に落ちそうになったの思い出すわ。東京があかんってわけじゃないけど、あっちのヒトって割りとハキハキしゃべるからね。まぁ、うちのオカン(江戸っ子)がそれなんだけど。父ちゃん(九州)とうまくいかないのも、実はそれなんじゃないか。

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愛媛バージョンも作ってほしいけど、伊予鉄の IC カードではこのネタができへんぞ……orz

Web でもタダで読めるっぽいので、気になるヒトは覗いてみてもいいんじゃないかな。

chancro.jp

『中間管理録トネガワ』

中間管理録トネガワ(1) (ヤングマガジンコミックス)

中間管理録トネガワ(1) (ヤングマガジンコミックス)

『カイジ』に登場する“利根川”の苦悩を描いた作品。Twitter でみかけてビール吹いてしまったので、カッなってまとめ買いした。後悔はしていない。そういえば『博多弁の……』もキッカケは Twitter だっけ。やっぱちみんなが面白いって話題にしてるときになっちゃうよな。その逆もあるけど……(個人的には『シン・ゴジラ』とか?)

あとこのマンガ、読んでる間ずっと『カイジ』の中のヒトが描いてるとばっかり思っていたんだけど、実はスピンオフなんだな? すげぇ、ちゃんと作者を確認するまで全然気づかなかったよ。もともとそういうことには鈍い方だけどさ……それだけクオリティが高い。ギャグなんだけど、本家と雰囲気が付かず離れずって感じで。

ちなみに『カイジ』は漫画喫茶で読んだだけで、持ってない。スピンオフの方だけ買ってるなんて、不敬っ!――悪魔的不敬っ!!

yanmaga.jp

『海の武士団 水軍と海賊のあいだ』

読書 歴史

海の武士団 水軍と海賊のあいだ (講談社選書メチエ)

海の武士団 水軍と海賊のあいだ (講談社選書メチエ)

前回、海賊関連の本を読むなら『戦国最強の水軍 村上一族のすべて』が便利だよねーって紹介した気がするけど、こっちを先に読むべきだな! とても面白かった。

daruyanagi.jp

一番よかったのは、かつての海のルールがおぼろげながらわかってきたことだね。

キーになるのは、「寄船」と呼ばれる慣習。

寄船(よりふね)とは、中世・近世の日本における遭難による漂流船・漂着船及びその搭載物のこと。これに対して漂流物一般を寄物(よりもの)と称した。更に漂流船を流船と呼んで、寄船を漂着船のみに限定する考え方もある。

日本では古代からそもそも船の遭難そのものを神罰として捉え、漂流船・漂着船は発見者・救出者によって略奪・捕獲の対象になると考えられてきた。慣習法では地元領主あるいは住民の所有物もしくは地域の共有物とされてきたが、しばしば権利を巡る争いを引き起こした。こうした争いを回避するために各種法令が出された他、寺社などに寄進して紛争防止と宗教的恩恵の両方を得ようとすることも行われ、博多に近い宗像大社は鎌倉時代の段階で過去数百年間の修理費用を寄船・寄物の寄進のみで賄ってきたという(寛喜3年4月5日官宣旨)。

寄船 - Wikipedia

要するに、「難破船(※ただし、本当に難破しているとは言っていない)は神さまのもの(という名目で、分け前をもらう)」ということだね。たぶん陸でも行き倒れのヒトはお寺が埋葬する代わりに、その所持品はお布施として自分の持ち物にしてしまうという風習があったと思うので、本来は別に海に限ったルールではないのだけど、これが“拡大解釈”されて、「荷物が濡れているから漂流物扱いな(^ω^)」「許可なく港に入ってきたんだけど、縄張りもわかんねー猿かよ。漂流物扱いってことにしとくわ(^ω^)」「ちょっと殴ったら死んじゃった>< 漂流物ということにしておこう」みたいなことになっていたらしい(誇大表現を含む)。古代・中世の寺社仏閣は公共事業のようなこともやっていて(行基、空海、時宗の聖なんかの集金力のあるおっさんがお金と人手を集めて、公共的なインフラ整備を行う例を思い起こそう)、「寄船」はその――たとえば港湾整備とか――原資になったんだな。まぁ、海賊側もそれを大義名分に「寄船」をいただいて、分け前にあずかっていたんだけど。

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そして、それらと微妙につながっているのだけど、海には「ローカル優先の法則」というべき慣習があった。ビジターは港湾インフラを整備しているローカル(地元)のいうことを聞かなければならない。そこから津料(港湾使用料)を徴収するルールなんかが派生していくのだけど、実際問題として、海は陸以上にローカル知識が必要とされる場所でもある。潮の満ち引きや海流、浅瀬の場所、そして海賊の出没スポット――そういった特殊知識へアクセスするためにも、津料のような陸で言う「関」のような仕組みが容認されたんだな。海の勢力の多くが分立しており、村上氏のように弱小世帯の寄り合いみたいな形態が主流になっていたのも、こうしたローカル知識の重要性がキーになっているのかも。

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ここからは個人的な解釈になるけど、海には陸とは異なるルールが存在していたけれど、本質的には両者にそれほど大きな差異はないような気がする。陸においても、権力と権力のはざまには権力に属さない者たちがときに“商人”として、ときに“盗賊”(勝手に関を設けて通行料をせしめるのも含む)として活動していた。その意味で、“商人”と“盗賊”は割と表裏一体なんだね。これはギリシャ・ローマにおける商業の神メルクリウス(マーキュリー)が盗人の神様でもあったことでもわかる。地中海貿易で栄えたイタリア都市国家も、時に応じて商人と海賊の顔を使い分けていた。筆者が“海賊大名”や“水軍”という言葉を避けたがっていたのも、この二面性をちゃんととらえたかったからじゃないかな。

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でも、地方権力の上に統一権力が構築されるようになると、盗賊の住処である“権力の隙間”が次第に埋められていく。商人と海賊、2つの顔をもっていた<海の勢力>は、海賊の顔を捨てざるを得なくなる。その結果、あるものは単なる海の専門家として権力の側に使役されるだけの存在になったり、あるものは武士という地位を捨て
商人として生きたりするようになった。

愛媛県では県民性を表すのに東予は「商売につぎ込み、倍に」
中予は「貯蓄して、利息を」
南予は「散財する」
というが、東予には<海の勢力>のなかでも商人気質の濃い者が、中予には武士(官僚、役人)の血が残ったのかもしれない、などとも想像したりした(南予は……まぁ、南方気質なんだろうな!)。

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あのフリー素材「だるやなぎ」が iPhone でも! 知らないうちに「iMessage ステッカー」が公開

だるやなぎ iOS iPhone 7 Plus iPhone

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さっきこんなメールがきて、部屋の隅で震えている。いつの間にこんなプロジェクトが進んでいたんだ……orz(「いいよ」って言ったのをすっかり忘れていただけみたいだけど

柳 英俊(だるやなぎ)

柳 英俊(だるやなぎ)

  • Pronama LLC
  • ステッカー
  • 無料

よかったら使ってあげてください。11月末までは無料らしいです! あと、iMessage ってあんまり使ったことないんですけど、便利なの? 優しいお姉さんがいたら教えてくれるとうれしいです。

『戦国最強の水軍 村上一族のすべて』

読書 歴史 愛媛

戦国最強の水軍 村上一族のすべて (新人物文庫)

戦国最強の水軍 村上一族のすべて (新人物文庫)

文庫サイズだけど、カラー写真がふんだんに使ってあって充実した感じ。記述もコンパクトで、村上水軍初心者(?)にお勧めできる。巻末が史跡ガイドになっているのも便利でいい。

個人的にはそんなに新しい発見はなかったので、とくにいうことはないかも。船手衆の組織(頭は家老の次に偉いらしい)とか、元寇やってたのは主に因島村上氏とか小早川(の諸族)の水軍だったとか、そういうのは初めて知ったのでへぇって感じだったけど。

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著者の一人は『瀬戸内の海賊: 村上武吉の戦い』の著者でもあるんだね。こっちの文庫本で予習しておけば、理解がより深まったかもしれない。

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そういえば、以前訪れた「村上水軍博物館」で特別展をやっているのだそうな。

日本遺産『“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-』を地域へ、全国へ、世界へ発信するための一環として、まず地元の尾道市・今治市で巡回特別展を開催します。

海賊の末えいに伝わる、至宝の中の至宝を一堂に展示し、魅力を発信します。

日本遺産認定記念 尾道・今治巡回特別展『村上海賊三家の至宝』が開催されます

ちょろっと行ってこようかなって思ってる。

あと、村上水軍がらみではこんな話もあった。

番組終盤には、出演者たちが村上水軍の魅力について語った。そこで、司会の久本雅美が「村上ショージさんも村上ですよ」と口にすると、愛媛県出身の村上は「僕はね、末裔です」と断言したのだ。

出演者たちが疑いの声をあげる中、村上は過去に番組で調査したのだと明かす。寺に300年前まで村上の先祖をさかのぼった証拠が残っていたそうで、村上はそのとき、「村上さんは末裔で間違いないでしょう」と言われたというのだ。

村上ショージ 日本最強の海賊「村上水軍」の末裔だったことが判明 - ライブドアニュース

割としょうもない話だけど(ごめんなさい!)、ちゃんと末裔が活躍してるんだなぁ、みたいな。

ジブリの立体建造物展

アニメ

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熊本旅行の〆は、なぜか美術館でした。

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熊本市現代美術館は繁華街にあってアクセスが大変よろしいですね。今回観たのは『ジブリの立体建造物展』です。

スタジオジブリは1985年の創立以来、多くのアニメーション作品を発表してきました。作品中にはドラマが起こる舞台として、沢山の「建造物」が登場します。本展覧会では出発点となった「風の谷のナウシカ」から、「思い出のマーニー」まで、作品に登場する建造物の、背景画や美術ボード、美術設定といった制作資料を公開。代表的な建造物を立体で表現し、その設計の源に触れます。

熊本市現代美術館|ジブリの立体建造物展

全国持ち回りでやってるのかな? そのうち松山でもやるかもね。

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ちなみに写真撮影は禁止。受付の外にラピュタが浮いていたのでそれだけ撮ってきました(なかではないし、他の人も撮ってたし、まぁ、大丈夫?)。

まず思ったのは「俺、最近のジブリぜんぜん観ていないんだなぁ」ってこと。スタジオジブリの年表 - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI から自分が観てないモノにチェックを入れてみた。

  • 1984年 「風の谷のナウシカ」公開
  • 1986年 「天空の城ラピュタ」公開
  • 1988年 「となりのトトロ」「火垂るの墓」公開
  • 1989年 「魔女の宅急便」公開
  • 1991年 「おもひでぽろぽろ」公開
  • 1992年 「紅の豚」公開
  • 1993年 「海がきこえる」放映
  • 1994年 「平成狸合戦ぽんぽこ」公開
  • 1995年 「耳をすませば」「On Your Mark」公開
  • 1997年 「もののけ姫」公開
  • 1999年 ×「ホーホケキョとなりの山田くん」公開
  • 2001年 「千と千尋の神隠し」公開
  • 2002年 「猫の恩返し」「ギブリーズepisode2」公開
  • 2004年 「ハウルの動く城」公開
  • 2006年 「ゲド戦記」公開
  • 2008年 「崖の上のポニョ」公開
  • 2010年 △「借りぐらしのアリエッティ」(米林宏昌監督)公開
  • 2011年 ×「コクリコ坂から」(宮崎吾朗監督)公開
  • 2013年 ×「風立ちぬ」(宮崎駿監督)公開
  • 2013年 ×「かぐや姫の物語」(高畑勲監督)公開
  • (2014年「ジブリの立体建造物展」を江戸東京たてもの園にて開催)
  • 2014年 ×「思い出のマーニー」(米林宏昌監督)公開

「借りぐらしのアリエッティ」はテレビで観た気がするけど、ながら見だったのでストーリーを全然覚えていない。実は「崖の上のポニョ」も地上波で初めて見たので、2006年の「ゲド戦記」を最後にほとんどロクに観てないんだな。なので、「カルチェラタン」とか言われてもなにそれって感じだった。(ノ∀`)アチャー

でも、今回の展示観て「コクリコ坂から」「風立ちぬ」あたりは観たいなーって思ったかも。ちなみにジブリ作品の中では「紅の豚」「海がきこえる」辺りが好きです。でも、とくに「海がきこえる」が好きっていうと割と不思議がられるんだけど――あれ、ダメなのかな?

展示のなかでは、「病院はなぜ白くて洋風なのか?」みたいな話が面白かったですね(なんでだと思います? 言われてみればそうだよねーって感じでした!)。そして、やっぱり「千と千尋の神隠し」の「油屋」が圧巻。「千と千尋の神隠し」は何回も見たので、ストーリーが完全に頭の中にはいってて。「あー、ちひろはここをこうやって走ってたんだなー」みたいな感じで、「油屋」の周りをグルグルしてしまいました。

あと「草壁家」なんかも面白かったかも。和風と洋風があいのこになった、でもおかしさを感じさせない家。で、思ったのですが、やっぱり自分は“最初から完成している”
洋風の家よりも、“付けたし”ていく感じの和風の家の方が好きですね。じゃないと、「ハウルの城」みたいな有機的なデザインにならないかも。これはこどもの頃からのちょっとした夢なのだけど、自分が家を建てたら どんでん返し が絶対ほしい。忍者屋敷にあるヤツね。掛け軸をめくったら秘密の抜け道があるとか、板張りの床のある部分をバーンと踏むとカタナが出てくるとか。屋根裏へ行くための縄梯子もほしい。でもこれ、ぜんぶ新築のときに作りたいかっていうと全くそうではなくて、あとからちょくちょく付け足したいんだ。こどもが小さなうちは、そういうのがあると危ないしね。ひとつひとつ、みんなで作っていきたい。そっちの方が、家が生きている感じ、しませんか? 嫁さんにバカにされながらそういうの、やってみたい。まぁ、そんな人生も今とは異なる世界線の果てに行ってしまった感じがあるけれどw 

展示を見ながらそんなことを思ったりもしました。

熊本城主になってきたった!

城郭 旅行 食べ物

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勉強会の懇親会を三次会までやった翌朝。いつも通りチェックアウトぎりぎりぐらいにホテルを出て、熊本観光に繰り出しました。

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そういえば、夜ホテルについたときは気が付かなかったのですが、なんかあちこち改装中でした。

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これも地震の影響なのかな?

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熊本城へは市電が便利です。なにが便利かって? 松山の伊予鉄と違って、熊本の市電では SUICA が使えるんですよ!(正確には SUGOCA が使えて、それが SUICA 互換なのかな?) Apple Pay でスマートに乗り降りできました。でも、地元の人によると、SUICA が使えない公共交通機関もあるのだとか。小銭は用意しといた方がいいのかもね。市電の路面にはところどころ芝生が植えてあって、目に優しい感じでした。これは伊予鉄でもやってほしいかなー。

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馬具櫓

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市役所前で市電を降りて、まずはお堀端を散歩。春先なんかは気持ちよさそうですね。

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ここから少し歩くと、馬具櫓が見えてきます。2014年に復元されたものだそうですが、残念ながら石垣の中央が崩れています。腹を割かれて内臓がデロっと飛び出したかのような、グロテスクな光景。話には聞いていたし、TV でも見たことはあるのですが、実際に見るといたたまれなくなりますね。こりゃ、いろいろ覚悟しとかなあかんなぁ、という気にさせられたリ。

城彩苑

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馬具櫓を右手に折れて、清正公の銅像がある橋を渡ると、城彩苑というエリアがあります。ここでみんなと待ち合わせ。和風な感じの街並みになっていて、食べ物屋さんやお土産屋さんが入っています。

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ちょっと時間ができたので、名物だという「くま耳マロンソフト」を食べました。マロンソフトなんですけど、栗が2つ、耳のように添えられていて、チョコで顔が書いてあるのがかわいいですね。

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でも、実際はちょっとヤバい感じでした。味は……甘さ控えめで、秋を感じさせる栗の風味がいい感じ。

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この城彩苑では催し物もやっているようですが、その隣で「復興城主」の募集もやってました。1万円でなれる一口城主ってやつですね。さっそく僕も手続き。1万円で天下の名城の主になれるんだから安いものだぜ!

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その場ではもらえないのですが、のちのち「城主証」を送ってもらえるのだそうです(無理行ってサンプルの写真を撮らせていただきました!)。あと、「熊本城主」の手形がもらえます。これをもっているといろいろ便宜を図ってもらえるのだそうですが……自分が行った範囲では対応しているお店はなかったかも(見落としただけかな?)。

これで、かねてからの願いもかないました。

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お土産もしこたま補充。個人的には「馬肉みそ」がめっちゃ美味しかったです。ビールがはかどった!

ここでみんなとも合流できたので、城彩苑の奥にある階段を上って、いよいよ二の丸へ攻め込みます!

未申櫓

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緩い坂を上ると、石垣の隅に櫓が。これは未申櫓で、2003年に木造復元されたものです。“ひつじさる”は南西のことですね。

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ぱっと見大丈夫そうだったのですが、左へ回るとガッツリ石垣が崩れていて、塀ごと落っこちてしまっています。

二の丸広場

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未申櫓を右手に見ながらさらに上がっていくと、広場に出ます。ここが二の丸らしい。この日はなんか B 級グルメの催し物をやっていて、いいにおいが漂ってきました。

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ここからだと、立派な天守閣がよくみえます。

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iPhone 7 Plus で強化された望遠機能を使って、撮影してみました。カワラが落ちちゃってるのがわかりますね。塀もばったり倒れちゃってて、1万円の寄付では全然足りないかなぁ(でも、そんなにお金持ちじゃないしなぁ)と少し悲しくなりました。

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北側はもっとひどくて、戌亥櫓から先は全滅って感じでした。あわあわ。

加藤神社

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北側をぐるっと回って、加藤神社へ。この日は七五三でにぎわっていました。そういえばウチの姪っ子も七五三なんだよね(n*´ω`*n) それはともかく、ちゃんとお賽銭なげてお城の復興を願っておきました。

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本丸への立ち入りは(一口)城主といえど今は許されていないのですが、この加藤神社からはバッチリみえます。記念撮影のスポットにもなっていて、みんな列をなして順番を待っていました。

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最後は棒庵坂を下ってぐるっと市役所まで帰ってきました。途中、解体した石垣が並べて置いてありました。

市役所の展望台

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あと、これは地元の方に教えてもらったのですが、市役所の展望台がお勧めとのこと。休みの日も通用門(?)から入ることができます。

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確かに絶景。

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“一本石垣”でかろうじて倒壊を免れた飯田丸の補強の様子も見えました。

お昼ごはん

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この一周コースでだいたい 3km ぐらいなのでしょうか? 歩き疲れたので、お昼はラーメンにしました。

豚骨ではなく、にぼしのラーメン。熊本に住んでたら通ってたかもしれんなぁ、と思うぐらい美味しかったです。スープがやさしい感じで、なんか古き良きラーメンだな~。

とりあえず今回はこれでおわり! 復興城主の証が届くの楽しみ。