読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

だるろぐ

とてもだるだるした日記です http://about.daruyanagi.jp/

お知らせ

討議と代表の分離、二院制

代議制 共和主義

日本の政治はなぜこんなに混乱しているのだろう。その理由に、ジェームズ・ハリントンがヒントをくれた。

討議と代表

多人数では十分に分別のある討議は行えない。
反対に、少人数では民主的な議決が生み出されることはありえない。

これは「代議制」のエッセンスを的確に表現した言葉だと思う。「代議制」は、この分別と民主主義のジレンマ*1を、「討議」と「代表」の分離によって解消する。

もし(少数からなる)評議会が討論と同時に議決も行えるのであれば、それは寡頭制である。
もし(多数からなる)集会が議決のほかに討論も行うのであれば、それはアナーキーである。

「討議」は、理性にもとづいて選択肢を提示する。
「代表」は、投票にもとづいて選択肢を選びとる。

「代表」は理性ではなく、感情や好悪によっても構わない。むしろ、すべてが理性を用いて結論が出せるのならば、スーパーコンピューターが政治を行えばいい*2。「合理的なロバは餓死する」(餓死するロバは恋ができない - だるろぐ)。もし理論的整合性が等しい選択肢が複数あれば、あとはみんなの好みで選び取ればいいんだよ。

「討議」に「代表」が入り込むと、ろくなことはならない。たとえば「直接民主制」は理想の民主政体ではない。カントの言葉を引いてみよう*3

三つの国家体制のうちで、(直接)民主制は語の本来の意味で必然的に専制的な政体である。というのは民主制の執行権のもとでは、すべての人がある一人について、場合によってはその一人の同意なしで、すなわち全員の一致という名目のもとで決議することができるのであり、これは普遍的な意志そのものと矛盾し、自由と矛盾するからである。

――『永遠平和のために』

『キノの旅』の民主的な国の話を思い出す。カントはもっとズバリと表現しているので、その言葉も引こう。

代議制でないすべての統治形式は、本来 Unformである

討議と代表の例

たとえば、極力「代表」を排した「討議」とはどのような選択肢を提示するのだろうか。最近の問題を軽くさらってみる。

原発問題の例

  1. 経済的安定を優先して原発を継続する。万が一のリスクは国民が負担する。
  2. 原発を全面的に廃止する。そこのことによる経済的費用は国民が負担する。

個人的には、この二つの意見が理論的整合性をもち、なおかつ等価だと思う。これ以上は“考えて”も無駄だ。どちらかを好みで選べばよいもしくは第三の選択肢があるのかもしれないけれど、まぁ、大事なことは“複数の正しい意見”があるということだ。だったら、選ぶしかないよね。

ただし、選んだあとに選択肢の前提や目的を歪めてはならないと。たとえば後者を選択した場合、「年金受給者は負担を軽減するべきだ」といった意見があとから湧出するのが目に見えているので、それは選択肢の前提として盛り込んでおかなければならない。応能負担の考えもある程度盛り込んだ上で、国民すべてが平等に痛みをわかちあうべきだ。

外交問題の例

  1. 日米同盟を維持する。その代わり、米に対する外交的自主性の欠如には目をつぶる。たとえば、オスプレイ問題・基地問題は先送りまたは長期化する。TPP への不参加も現実的ではなくなる。
  2. 憲法を改正して武装自立を図る。その代わり、米の庇護を失う覚悟と経済的負担、外交上のあらゆる困難を甘受する必要がある。

日本の外交について素人なりに考えてみた - だるろぐ ではこういう結論を出したと思う。たぶん、どちらを選ぶかは好みの問題だと思う。

まぁ、これが“理性にもとづいて選択肢を提示する”に当たるのかどうかは、“特定の利害の代表ではない”専門家による検証が必要だと思うけれど。

あと、これとは逆に“特定の利害の代表する”専門家を、世間では「御用学者」と呼ぶらしい。けれど、むしろ害なのは“市民の意見を代表した”と堂々と表明して憚らないジャーナリストの方だと思う。彼らは「討議」に必要な専門知識も持たず、しかもそれに「代表」をもちこもうとする。「御用学者」はまだ聞くべきところをもつかもしれないが、市民派ジャーナリストには聞くべきところがまったくない(ことが少ないない)。

「討議」にはディベートの手段の一環としてどちらかの利害を「代表」することがある。けれどそれはあくまでも手段であって、「討議」そのものには「代表」をもちこんではならないと思う。

――っと、話が少しそれたかもしれない。あとは消費税の問題かな。これはみんながそれぞれで考えてくれればいい。自分の意見はこんな感じだけど。

「おれも考えてみたけどちょっと違う」という人は教えていただければ。ただ、「痛み」だの「イヤだ」だのそういうのはナシで。

ともあれ、こういった「代表」の前の「討議」の段階であまり感情・派閥・利害を持ち込むべきではないという点では、みんなの合意が得られると思う。選択肢が出揃えば、あとは好きにすればいいけれど。

上院と下院

「下院は上院なしに賢明(wise)ではありえない」
「上院は下院なしに誠実(honest)ではありえない」

ハリントンはこの「討議」と「代表」の区別をさらに推し進めて、少しラディカルな二院制を唱える。

上院は討議を行う。ただし、決議は行わない。
下院は代表する。ただし、上院の討議をうけて投票により選ぶのみで、討議そのものは行わない。

(´ε`;)ウーン…

けれど、エッセンスには同意できる。個人的には「上院議員の選抜方法」が気になる。投票はかならずしも賢明な人を選ばない*4*5。もし上院が選挙で選ばれるならば、それは下院と何が違うのだろう。それはきっと衆議院と参議院を区別する意義への疑い――参議院の廃止と一院制の採用――にも繋がっている。

ただ、これについては地方自治にも絡めたナイスな案があるので、機会があったら披露したいと思う。

近代共和主義の源流―ジェイムズ・ハリントンの生涯と思想

近代共和主義の源流―ジェイムズ・ハリントンの生涯と思想

*1:古代ギリシャから「衆愚」の問題は政治学における主要なテーマの一つだった

*2:そういうくだらない SF は腐るほどある。エンターテイメントとしては面白いけれど!

*3:この言葉は一般意志が代表ではなく討議から生まれることも示している。集計できる一般意志だって?

*4:選ぶなら衆愚政はありえない

*5:選挙は体力と駆け引きに長じた“選挙に適する”人間しか選抜しない