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だるろぐ

とてもだるだるした日記です http://about.daruyanagi.jp/

お知らせ

お給料について

労働

「なんでアイツのほうが給料が高いんだ。説明しろ」

あるお給料日の支払日、60歳を超える職人さんに捕まってこう聞かれた。

ちなみに、前職ではお給料が現金・手渡しで、みんなが現場から帰るのを待ったものだった。ほんとは振込にしたかったのだけど、古い人は嫌がるし、大人の事情とかもあるし、みんなが集まって酒でも振る舞い、ぶっちゃけた話をする機会というのも結構大事なので。

で、なぜ同じ職種でもお給料の差があるのかというと、実のところ自分も知らなかった。ただ歴史的にそうなっていただけで、自分としてもとくに変える必要もないと感じていた。ただ、家族持ちであるかどうかは結構関係あるかなぁ、と思ったのでそれを伝えた。

家族持ちは子どもの養育などでお金が要るので、自然、お給料にもその分の配慮があったし、独身組はどうせお給料を増やしても数日でパチンコかギャンブルかお酒で使い果たすという事情もある。彼はそんな独身組の典型だった。正直なところ、お給料を上げてあげる余裕もなかったし。おれなんか、そのとき最低限の食費以外はほとんど無給だったんだぞ……平等にしろっていうなら、まずおれからじゃないか!

結局、その時は伝家の宝刀「嫌ならほかのところ行けばいいんじゃね」を抜いて黙らせたんだと思う。うちのお給料はそんなに悪くなかったはずだし、高齢ではほかに行き場もないはず。本来ならこういうやり方は禁じ手だし、やりたくはない。

平等主義と個別事情

でも、正直なところを言うと、当時彼が主張した“同一労働同一賃金”や“能力主義”*1はもっともだと思う。経済学部生だったし、むしろそういう考え方のほうにシンパシーを感じる。

一方で、それだけで割り切るのも難しい。需要供給でシンプルに決めて、あとはのたれ死のうが何しようが関与しない、というのは実にわかりやすいのだけど、道義的にはどうかと思わないでもない。ある種の平等主義は、個別事情に対して極めて冷淡だ。

また、歴史的に決まっていることを、個の力で覆すのは難しい。“家族手当”のような考え方は共働きが珍しくない現在ではちょっと甘えているようにも思うが*2、今さら削るわけにもいかない。だいたい、こういうのはウチのような弱小企業が面倒を見るべきことじゃない。国がやるべきだ。同じ市場で“家族手当”を出す企業と出さない企業では、“短期的”には出さない企業のほうに競争力があるのは明白だろう*3。となれば、出さないほうに経済合理性が働く。国とは本来、このような“不幸な均衡”を是正するための存在なのではないだろうか。

ベーシックインカム

まぁ、こういった問題をなるべくシンプルに解決するのがベーシックインカム(安心の基礎給付+市場で決まる賃金の二階建て)だと思うのだけど、意外なことに恩恵を受けそうな人に限ってあまり受けがよろしくない。

確かに実現にはハードルが高いし、実際やってみたところで物価への影響がどうなるかは読み切れない。不安は大きい。けれど、たぶんそれは大した問題じゃない。所詮、テクニカルに解決できそうな話。ウケがよろしくない原因、ベーシックインカムの本当のヤバさは、もっと根本的なところにある。

というのも、ベーシックインカムは従来の賃金制度が曖昧にしてきたところを剥ぎ取り、グロテスクに暴露してしまう。

“賃金”、というよりむしろ“価格”一般というものは、一種の規範であり、需要・供給だけでなくそれ以外のさまざまな社会的圧力によって決められている。同情や共感、共同体意識、権力関係、歴史的経緯など、そのたもろもろの“人間らしい”ものによって。それは煩わしいものだけど、逆に言えば、人というものはそういうものに守られている存在でもあるわけだ。もし、ベーシックインカムのようなシンプルで機械的、かつ平等主義的なシステムによって賃金が決められてしまえば、本当に“個人”は素っ裸で“世界”と戦わなきゃならなくなる。

たとえば、ベーシックインカム(+最低賃金制度の撤廃、解雇の自由)導入後にその分お給料が減らされたり、もとの所得水準を維持できないなどという事態に直面すれば、それまで得てきた賃金は実は“能力”に寄るのではなく、個人的な温情や友好関係、最低賃金などの法制度、歴史的な経緯によって支えられてきたという証になる。能力によって今の地位を得ていると自負している人にとっては耐えられないだろう。

「なんでアイツのほうが給料が高いんだ。説明しろ」
「比較的不要な分だけ少ないです」
「……」
「来年にはもっと要らなくなるので、お給料はもっと下がります」

“働くことによって自己実現する”という、誰しもが多少はもっている当たり前の考え方が、完全にぶっ壊れる。“働くお父さん”の尊厳性は共働きの増加にともない低下の一途をたどっているけれど、今度はいよいよ“労働”そのものの尊厳性が失われる。

たぶん、みんなそういうのを半ば本能的にかぎつけているのだと思う。「理論バカ」になるとモノゴトを巨視的にみすぎて、そういった野性的な嗅覚が鈍くなる。まぁ、わしなんかはそんな価値観がぶっ壊れても、また新しい価値観をみつけだせばいい、だなんて気楽に考えているわけだけど、たぶんみんながみんなそうじゃないし、自分だって本当に世界に必要とされない無価値な存在だと打ちのめされれば、そんな気分になれないかもしれない。

ベーシックインカムは個人的にはよい制度だと思うけれど、みんなに積極的にお勧めして“ベーシックインカム派”へ転向させる気はないというのはそういったところもある。

*1:この場合は、能力はさほど変わらないので差別するなという意味で

*2:情緒的な意味ではなくて、“家族手当”なんかないほうが一般的であるという意味

*3:長期的にはどうだろうか