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だるろぐ

とてもだるだるした日記です http://about.daruyanagi.jp/

お知らせ

『生物社会の論理』

生物学 読書

生物社会の論理 (1979年)

生物社会の論理 (1979年)

高校の頃に読んだ今西錦司の本を読んでみたかったのだけど、すっかり題名を忘れていた。というわけで、Amazon で適当にみつけてきたのだけど……目当てのとは違かった\(^o^)/

とはいえ、論理は非常に明快で、ちょっと面白かった。1948年の著作だそうだが、分類学(特徴によって生物を種へ分類する)や生物地理学(種の静的な分布を地理的にとらえる)、単極相説(生物環境がある状態からある状態へ遷移して終わる、またそれを繰り返す)といった従来の平面的な見方から抜け出して、立体的・社会的な生物世界の捉え方を提案していて、当時としてはかなり先見性のある考え方じゃなかったのかなぁ、と思う。

それが“棲み分け”という概念なんだろうけど、これは紙幅が割かれているわりにちょっと曖昧だと思った。まぁ、学名が横文字で乱舞しているのに惑わされてよく読み砕けなかっただけかもしれないが。

“棲み分け”という概念を、自分なりに噛み砕いて説明するならば。

分類学との関係においては、“棲み分け”は分類学の成果である“種”を前提としている。分類学があって種という概念があり、なので種の“棲み分け”を語ることができる。

分類学がこうした究極的な構成単位としての種を明らかにしてくれておいたおかげで、我々は先の疑問(“生物”はこの地上にでたらめにばらまかれているのか、それともそこには秩序なり法則なりが見出されるのだろうか)を、生物の“種”はこの地上にでたらめにばらまかれているのか、それともそこには秩序なり法則なりが見出されるのだろうか、と書き換えることができる。

ただ、元素に分割し、分類しただけでは何も明らかにならない。もう一度再構成して、その関係性を明らかにしなければならない。また、見た目は同じでも、社会関係や生活の様子に違いがみられれば、種として分類すべきであり、分類学へのフィードバックがあるかもしれない。

一方、生物地理学は“種”を地理的に配置したり、地理的な分布をもとに“種”を分けたりする。熱帯だの亜熱帯だの寒帯だのと地球を大まかにザックリと分けて、何がどこに住んでいるのかを大域的にプロットしていく。もう少し縮尺を拡大して、山の高度や河川との位置関係なんかも考えたりもする。けれど、それは生物社会の営みを記述したものとは言えない(ただ、“棲み分け”は結果的にそこへ帰ってくるのだけど!)。

遷移学説は、少しミクロな場における、生物たちの関係の変化を記述しており、今まで挙げたなかではもっともダイナミックに生物社会をとらえている。けれど、変化が一つの状態に達して、それからあとは均衡するという単極相説は、かなり生物社会を平べったくみている。それを複数展開した多極相説にしても、変化を不可逆と捉えている点では同じじゃないかな。

“棲み分け”という概念は、同一の種で構成される仮想的な生物空間“同位社会”を考える。そこには体の少し大きな亜種や、すばしっこい亜種、特定のえさを好む亜種なんかがいて、それぞれが棲む場所を自然なルールとしてもっている。このルールはなにか特別なことが起こっても(たとえば P.198 の加茂川の洪水の例)、一年も経てばすぐに復旧するが、遷移学説のような順序立てた因果関係はそこにはない。ただ、かき乱されてあちこちに非難した亜種たちが、三々五々、自分たちの持ち場へ帰ってくるだけのこと。

“棲み分け”においては、生物の間にはある種のルールができていて、生物社会においてはみんながそれを守っているととらえている。遷移学説はそのルールの移り変わりの典型例を書きうつしたものだし、生物地理学は結果としての棲み分けを大域的に記述したものに過ぎない。これは二つの学説を軽んじたわけではなく、包摂関係にあるということだ。今西のたくらみの巨大さが、これだけでもわかる。

そこで前提とされているルールとは、けっして人間がテキトーに信じている“大自然の掟”みたいなものではない。

もちろん、淘汰圧ということもある。けれど、そこにはただ競争をするのではなくて、アホらしい生存競争をあらかじめ回避しようという意図も感じられる。意図といえば神秘的なものを感じがちだけれど、一定のルールに則った繰り返しゲームでもそれはみられるわけで、それは別に意識をもつモノの特権ではない。結果に過ぎない。個人的に加えるならば、そこにはもう一つ、今西は本書ではとくに言及していないが、ほかの“種”との長期的な協働関係で得られるメリットを付け加えたい。本書では同位社会という横関係が前面推しになってると思うけれど、縦関係にもそういうものはありうると思う。

――と、そこまで考えれば、生物の特徴によって種の分類を行う分類学にも疑義が生じる。種は、外見的な特徴ではなく、それが従っているルールによって分類されてもよいのではないだろうか。“棲み分け”が“種”を定義してもいい、そんな思いつきをもった。僕らはとかく個体の状態や機能に注目しがちだけど、本当に大事なのはほかとの関係性なのだと思う。機能により関係性をもつのではなくて、関係性が機能を決める。

僕が市川に住んで記者をしてるのも、自分にもともとそれに適した機能があったからじゃなくて、たまたま今の会社に関係しているから、そうした機能を発揮しているわけで! で、みんなそれなりに“棲み分け”てる。おもしろおかしい。

P.S.

ぶっちゃけ本の内容自体はあんまり理解できなかった。まぁ、自分なりにとらえればそんな感じかなというだけのこと。