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だるろぐ

とてもだるだるした日記です http://about.daruyanagi.jp/

お知らせ

春秋の兵制

歴史

斉の兵制

斉についてはその兵制が割と詳しく述べられている。

桓公曰:「定民之居若何?」管子對曰:「制國以為二十一鄉。」桓公曰:「善。」管子于是制國以為二十一鄉:工商之鄉六;士鄉十五,公帥五鄉焉,國子帥五鄉焉,高子帥五鄉焉。參國起案,以為三官,臣立三宰,工立三族,市立三鄉,澤立三虞,山立三衡。

國語 : 齊語 - 中國哲學書電子化計劃

桓公と管仲が治めていた時代の斉は、二十一の“郷”から成っていたという。“郷”は今でいう“区”みたいな行政区かと想像するけれど、以下に述べるように職業別なので、単に戸籍上の分類のようなものだったのかもしれない。その内訳は、

  • 工商の郷:6
  • 士の郷:15

であり、

  • 公師(国王直属の軍):5郷
  • 国子の師(宰相家・国氏の軍):5郷
  • 高子の師(宰相家・高氏の軍):5郷

であったという。逆にいえば“士郷”というのは職業軍人の“郷”ということになりそう。管仲がやったのは徴兵制度(周代は国人を戦の都度徴兵していた)をやめて、(世襲の*1)職業軍人制度を創設することだったのかもしれない*2。士の“郷”は以下のように編成されていた。

管子于是制國:「五家為軌,軌為之長;十軌為里,里有司;四里為連,連為之長;十連為鄉,鄉有良人焉。以為軍令:五家為軌,故五人為伍,軌長帥之;十軌為里,故五十人為小戎,里有司帥之;四里為連,故二百人為卒,連長帥之;十連為鄉,故二千人為旅,鄉良人帥之;五鄉一帥,故萬人為一軍,五鄉之帥帥之。三軍,故有中軍之鼓,有國子之鼓,有高子之鼓。

まず、

  • 5家=1軌
  • 10軌=1里
  • 4里=1連
  • 10連=1郷

という関係がある。1郷には 10 * 4 * 10 * 5 = 2000家 から成ることがわかる。1家から1人、兵士を出すとすると

  • 軌:5人(あわせて“伍”と呼び、軌長が率いる)
  • 里:50人(5つの“伍”で“小戎”を編成する)
  • 連:200人(“小戎”が4つで“連”を編成し、連長がこれを率いる)
  • 郷:2,000人(10の“連”で“旅”を編成する)
  • 国:10,000人(5の“旅”で“師”を編成する。これが一軍になり、王・国氏・高氏がそれぞれ率いる)

が編成できる。これで周の天子と同じく上・中・下の三軍を構成することができるのだが(のちの晋は六軍を備えた)、実は周の一軍は 12,500 人から成るので、斉の一軍(一師)は 2,500 人ほど欠けていることがわかる。人が足りなかったのか、周王に遠慮したのか*3、そこら辺はよくわからない。

蛇足だけど『十二国記』で師の定数の違いを黒備12,500人、白備10,000人などとしてるのも、こういった周と春秋の兵制からヒントを得ているのだろうと思う。本当にそういう言葉があったのかは自分は知らない。

なお、今でも連・旅・師という言葉は使われている。連隊・旅団・師団などといった言葉(伍長などもそうだろう)がそれで、斉の兵制に倣えば以下が定数になる。

  • 連隊(Regiment):200人
  • 旅団(Brigade):2,000人
  • 師団(Division):10,000人

実際はもう少し多めで、兵科が多様化・複雑化し混成が進むにつれ定員の意義は薄れているようだ。これは春秋戦国を通じても言えることで、キッチリ編成・定数を守って戦ったというわけではなさそう。

春以蒐振旅,秋以狝治兵。是故卒伍整于里,軍旅整于郊。內教既成,令勿使遷徙。伍之人祭祀同福,死喪同恤,禍災共之。人與人相疇,家與家相疇,世同居,少同游。故夜戰聲相聞,足以不乖;晝戰目相見,足以相識。其歡欣足以相死。居同樂,行同和,死同哀。是故守則同固,戰則同強。君有此士也三萬人,以方行于天下,以誅無道,以屏周室,天下大國之君莫之能御。」

それよりも肝心なのはこの章の後半で、編成した軍は演習(春の“蒐”、秋の“狝”)で鍛え、日頃は祭祀をともにして結束を強め、有事の際は連絡網を回して迅速に軍を編成した。

こうした軍制改革を先んじて行った斉が強大にならなかったわけがなく、桓公は一躍、天下の盟主にのし上がることになる。

周の兵制

春秋時代の軍は“革車”と呼ばれる戦車(エジプトにもあったような兵士を乗せた荷台を馬に曳かせて戦う奴)を中核としていた。戦車の単位は“乗”で、たくさんの戦車を揃えた君主を“万乗の君”などと呼んだりする。

戦車は単独で行動するのではなく、歩卒の援護を受けて戦った。

湯、武革車三百乘,甲卒三千人(紂王を倒した湯王・武王は三百乗の戦車と三千人の武装兵を従えていた)

というのが決まり文句なところがあり、周代には一乗につき十人程度が付き従っていたようだが、だんだん増えていった形跡がみられる。

周制:萬有二千五百人為軍。軍將皆命卿。二千有五百人為師,師帥皆中大夫。五百人為旅,旅帥皆下大夫。百人為卒,卒長皆上士。二十有五人為兩,兩司馬皆中士。五人為伍,伍皆有長(司馬法)

太平御覽 : 兵部二十九 : 軍制 - Chinese Text Project
  • 伍:5人
  • 両:25人(伍×5、これが戦車一両に付き従う兵卒の単位。両長は中士(最下級の貴族))
  • 卒:100人(両×4、卒長は上士)
  • 旅:500人(卒×5、長である旅帥は下大夫)
  • 師:2,500人(旅×5、師帥は中大夫)
  • 軍:12,500(師×5、卿(大臣)が率いる)

天子六軍,諸侯大國三軍……次國二軍,小國一軍(周礼)

これを天子は6つ、諸侯は国の規模に応じて三軍、二軍、一軍を備える――というのが基本らしい。

だんだんめんどくさくなってきたから今日はここまで。

*1:夫是,故士之子恒為士

*2:農民がいないけれど、城壁外にでも暮らしていたのかなぁ?

*3:周王は実権を失っていて三軍を持てなかったし、周公の魯がかつて三軍を編成していたというから、この線はないかも